育児とはつまり精神修行である。

ヨガ 兼業主夫のモヤモヤ

…世の中が明るく見えない。

こんにちは。兼業主夫育児ガチ勢のOtoです。またノイローゼ期に入ってきましたよ。

心の声は、留め金が外れそうなときに、とろりとこぼれでるものです。
育児に疲れ、
世の中が明るく見えなくなってしまった時、
精神は修行のさなかにあるのです。

魔の2歳・悪魔の3歳

一般的に、イヤイヤ期を迎えて手に負えなくなってくる2歳児や3歳児を取り上げて「魔の2歳児・悪魔の3歳児」などと言うけれど、これは言い得て妙である。

この小さな生命体がまだ床をもそもそ這い回ってる時期や少し歩けるようになったくらいの時には、これが悪魔になるの?リアルに想像ができなかった。

しんどいんだろうなーとは漠と思っていたけれど、しんどさの種類がよくわからない。体力的にきついのか?外でギャン泣かれて恥ずかしいのか?地面に大の字になってその場を頑として動こうとしない子供は確かに目撃したことがあった。でも…うちの子供もこれやるの?

自分の中にカテゴリーが無いので、具体的にしんどさが想像できないのだった。

一番しんどいのは、自分の小ささを実感させられて自尊心が傷つくこと

何が一番しんどいか?
これである。

Otoの場合、絶賛イヤイヤ期の愛しき2歳8ヶ月を前に感じるしんどさは、これである。

自分がいかに相手に言うことをきかせて支配したいと思っていたか。伸び伸び育つように〜とか自立的な人間に〜とか言いつつ、ちょっと言うことを聞かないとイラついて不機嫌をあらわにする自分。

言うことを聞かない子供に対応するのに体力的・精神的に疲れるというのはもちろんあるが、ぶっちゃけそれはもう慣れっこでそれほどダメージはない。

むしろ、自分の人間としての小ささを思い知らされて、自尊心が傷つき、自分に失望してつらくなるってのが一番しんどい。

育児は精神修行

だから、育児ってなぁ自分で自分に対する評価や認識を常に書き換えさせられる作業なんだなぁとしみじみ思う。

精神修行だ。
自分の小ささに直面したときに、
それを受け入れて、
心の間口を広げる努力ができるかどうかが問われている。

これはきっと育児以外ではなかなか経験できないことなんだろう。貴重な機会だ。親にとっても人間的に成長できる機会。仕事で成果を出すよりも大事なことかもしれない。

とはいえ!とはいえ!

しんどいもんはしんどい笑笑

はぁ、明日もきっとまじやる気出ねぇ

ではまた。

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